みかも山 ハング・パラグライダークラブ紹介

1.はじまり
 1983年9月18日はくもり空だった。羽黒山にハンググライダーへ行った帰りの小山市の小笠原と松下の2人は以前から飛べそうな山だと目を着けていたみかも山へ下見に来た。そこで偶然ハングをのせた車を見かけ声をかけた。足利市で大工をしている出井だった。出井も以前からみかも山にフライトエリアを開拓しようと活動していた。三人は、さっそくテストフライトすることで意見が一致して山頂を目指した。今のテイクオフ地点も当時は当然草ぼうぼうだったが、ハングのセットアップに取り掛かった。ランディング場は9月なのでまだ稲刈りが始まっていないので無謀にも田んぼの間の道路に降ろすしかない。と、その時なぜかハングを積んだ車がその道路に現れ吹流しをセットしてくれている。アレレ、羽黒山ハンググライダークラブの小島でないの。くもり空のぶっ飛びコンディションの中、三人とも無事道路にランディング。さっそく、四人集まりみかも山のエリア開拓で意見が一致、出井の友人の赤坂を加え5人でみかも山ハンググライダークラブを設立する事になり、出井を初代会長として何回か打合せがもたれた。
 1983年10月23日もやはりくもり空だった。みかも山に5人が集合しテイクオフ地点の伐採を開始。そこへたまたま来たのが吉田。やはりハングをやっているとの事。6人に増えて、ハング用のランチャー台を組み立てた。さすがに出井はプロの大工、手際良く組み上がりランチャー台が完成。6人で記念撮影し、ハングの機体を持って来た5人でくじ引きしてフライトの順番を決め全員が無事ファーストフライト。こうして運命的な出会いが積み重なり、この日がみかも山ハンググライダークラブのフライトの歴史の始まりとなりました。

2.最初の10年
 エリアがオープンすると会員が着実に増えてゆき、休日にはハングのフライトが見られる様になり、そのうちパラグライダーが登場、ハングとパラが共存するエリアとなった。
 この期間には、森田、関塚を中心にみかも山最高峰の竜ヶ岳に西向きランチャー台を作るプロジェクトが始動しランチャー台は完成したが、しばらくしてハイカーに火を着けられ燃えてしまう事件などがあった。また、田所、高橋らにより北隣の桜で有名な大平山に連なる晃石山で何回かハングによるテストフライトが行われた後、みかもクラブの有志により姉妹クラブとしてスカイパーク大平(現在は大平スカイクラブに引き継がれている)が設立されている。
 クラブが10年目を迎えるころクラブ存亡の危機が訪れた。みかも山の栃木県立公園化計画が始動したのだ。全山を県が買い上げフライトが出来なくなるというのだ。それまで山頂まで車が入れたのに1995年5月をもって一切の乗り入れが禁じられてしまった。

3.新生みかも山 ハング・パラグライダークラブ
 クラブ存亡の危機を救ったのが当時の会長の高橋。栃木県と交渉を繰り返しハング・パラグライダーのフライトを認められるだけでなく、全国でも例の無い県営のハング・パラグライダーエリアとしてモノラックやランディング場などの施設の整備が行われ1998年4月リニューアルオープンしたのであった。
mpeg1(1.4M) 愉快な仲間たち


パラワールド2021年6月号90ページにクラブ紹介が掲載されています。




JHFレポート2000年1月号にクラブ紹介が掲載されています。